うざい先生は何を考えているんだろう「あのころ、先生がいた」

こんにちは。SHIORI BOOKSめぐみです。

今回ご紹介する本は、詩人の伊藤比呂美さんの作品「あのころ、先生がいた」です。

気が合う先生、尊敬する先生、涙もろい先生、つまらない先生、人気取りに躍起な先生、先生という職に飽き飽きしているのが透けて見えてしまう先生…。

私たちはどのくらいの“先生”とともに時間を過ごしたのでしょう。

もくじ

「あのころ、先生がいた」 ってどんな本?

「あのころ、先生がいた。」の表紙イメーシ
アマゾンHPより画像転載
https://www.amazon.co.jp
  • 著者:伊藤比呂美
  • 初版年月日:2007年12月
  • ページ数:140ページ
  • ジャンル:エッセイ

著者の小学生時代の先生4名、中学生時代の先生7名、高校時代の先生8名とのやり取りや思い出が綴られています。先生によっては名前も性別も顔も忘れた先生も登場します。

キラキラのきれいな思い出ばかりじゃない鬱屈とした思春期のエピソードも。中学生以上すべての人に向けられた「よりみちパン!セ」シリーズなので、過去にティーンだった大人の方もぜひどうぞ。

こんな人に読んでもらいたい一冊です  

たくさんの本のイメージ

学生として毎日先生とかかわっている人

今はまだ若くって、先生のことは、たんに学校の一職員、目の前に立ちはだかるうっとうしいおとなの一人としか思っていない(だろうと思われる)あなたたちが、まだまだ若いうちに、ちょっとあたしの「先生」の話を、聞いてもらいたいと思いました。(本書P5より)

学校を離れて久しい方

読みながら、自分が出会った先生方との思い出が蘇ります。  

学校の先生

幼いながら子どもは、先生のことをよく見ているものです。その視点を思い出させてくれるでしょう。

印象的なシーンとフレーズ

誰もいない教室のイメージ

好きな先生ばっかりじゃなかったんです。ただ通り過ぎていく先生もいたし、うっとうしい先生もいました。

でも自分がじたばたもがいていたあのころ、そばにいた先生たちが、教えてくれたことや、見せてくれた生きざまが、今になってずっしりとここ、あたしの中にあります。

「あのころ、先生がいた」(P5) 伊藤比呂美

ほんと。中学生って最低です。高校になったら、すこしマシになりました。自分は自分と少し認識できて、自分でも自分らしさがしっかりわかってきたせいです。

「あのころ、先生がいた」(P74) 伊藤比呂美
めぐみ

そう苦しいんですよね、ティーンは。私は自己の認識が遅かったので、高校もけっこうキツかったです。今しんどい思いをしているティーンは、そのクラスから、その学校からその地域から飛び出してくださいね。

高校生時代の家庭科の先生「直立カバ」が授業の最初の日に言ったひと言。

従来の、裁縫料理だけの家庭科なんてもう古いんですよ、家庭のことを総合的に考えなければねえ、それをわたくしは、『ホームプロジェクト』と呼びます」

「あのころ、先生がいた」(P81) 伊藤比呂美

ホームプロジェクト=家庭科の自由研究、画期的な授業がうらやましいです。伊藤さんが最初に選んだ課題はインスタントラーメン。次の研究は「本棚の整理」、そして次のテーマは「絵本」そこで伊藤さんは日本語の美しいリズムに気づいたそうです。ここが詩人の原点なのかなあと思いました。

めぐみ

2022年度から高校の家庭科では「金融」について学ぶそうです。受験には関係ない学科だけれど、自立して生活するときに「家庭科」は実はすごく大切な授業だったのだなあということに、私は成人になってから気づきました。家庭科の授業時間は、内職か睡眠に充てていたのが心底もったいなかったし、愚かだったと後悔です。

まとめ:私の忘れられない先生たち

スクールバスのイメージ画像

伊藤さんにならって、私の先生の思い出を語らせてください。

<幼稚園>
私の人生で初めての先生がちどり組のU先生。4歳児の幼い私たちに「かじのときは、いのちだけをもってにげて」と何度も何度も繰り返し言い聞かせてくれました。そのおかげで先生が教えてくれた大切なこと、40年経った今もしっかり覚えています。

<小学生>
2年生時の担任K先生。いなかの学校では、先生方が研修会などで出張したときは、クラスの子どもに菓子折りを買ってくるのが、風習のようになっていました。でもK先生は、私たちにお菓子ではなく絵本を選んでくれました。帰りの会で読み聞かせてくれた「かたあしダチョウのエルフ」と「チロヌップのきつね」のお話は忘れません。またクラスメイトと「お菓子よりいいお土産だねえ」と言い合ったことも。

<中学生>
保健室の養護のK先生。いわゆる思春期のもやもやを抱えた私を気にかけてくれ、折に触れて二人で話す時間を作ってくれました。どんな話をしたのかはあまり覚えていませんが、いつも私の(子どもの)味方になってくれました。先生は私が21歳の時に突然亡くなってしまいました。あのころの先生より今の私は歳を重ねているけれど、私の心のなかではいつでも先生のほうがおとなです。

<高校生>
単元が終わるごとに生徒のミニ感想文を通信紙で紹介する3年時の現代国語のI先生。なぜか私の感想文は毎回掲載されました。学業も部活も見た目も学校生活自体がパッとしない私にとっては、それがすごくうれしかったです。また教科書にはないエイズの薬害訴訟の話や、戦時中に中国人捕虜として強制労働を国内で強いられた劉連仁(りゅうりぇんれん)さんの話は忘れられない。これこそ生きた授業でした

めぐみ

長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

もくじ