ナチスドイツの人権侵害と奪われた服の行方「アウシュヴィッツのお針子」

こんにちは。SHIORI BOOKSめぐみです。

今回ご紹介する作品は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で起きた実話「アウシュヴィッツのお針子」です。

1940年代のポーランドはドイツの支配下にあり、ナチス親衛隊がユダヤ人や政治犯を囚人として、その強制収容所に送りました。ろくな衣食住も提供せず強制労働させ、働けない者はガス室に送り大量虐殺を行っていた史実は、多くの方がご存じのことでしょう。その収容所には驚くことに、親衛隊の妻たちのためのファッションサロンがありました。

気分が沈んでいる時はいそがずにじっくり時間をかけて読むことをおすすめします。

もくじ

アウシュヴィッツのお針子」ってどんな本?

「アウシュビッツのお針子」の表紙画像
https://www.kawade.co.jp/np/
河出書房新社HPより画像転載
  • 著者:ルーシー・アドリントン 訳:宇丹貴代実(うたん きよみ) 
  • 初版年月日:2022年5月
  • ページ数:361ページ
  • ジャンル:社会科学

ナチスによってアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に強制移送された女性のなかには、かつてはファッションサロンを経営したり、腕の良い仕立て職人、コルセット職人など服飾の仕事に就いていたひとも多くいました。

ナチスの親衛隊の妻ヘートヴィヒ・ヘスは、収容者から奪った衣服の生地を使い、自分や子どもたちの服を仕立てるための「高級仕立て作業場」を設けます。

お針子たちは、自尊心を傷つけられ毎日死に怯え、辛さも食べ物も分かち合い助け合いながら自分たちを貶めた者のために服を縫います。屈辱でもそれが生き延びる唯一の手段だったから
この作品は、当のお針子やその子孫の証言や膨大な資料をもとにまとめられた一冊です。

こんな人に読んでいただきたいです!

ワンピースの女性のイメージ

戦時下の人権について学びたい方

戦争で失われるのは日常だけではなく、基本的な人間としての権利だということをあらためて知ることができます。その大切さを再確認しましょう。

服飾関係の仕事をされている方  

作者は英国の服飾史研究家です。ハイブランドでなければ、昨今はどのお店も似たような服が販売されていますが、私は服=アイデンティティの一部という考えについて理解できました。

印象的なシーンとフレーズ

収容所のイメージ画像

エミー、マクダ、ヘートヴィヒといった、特権にどっぷり浸かった親衛隊の妻たちは、あからさまなユダヤ人迫害の目撃者でありながら、こうした不快なできごとへの最善の対処法は目をそむけることだと決めこんだ。

アウシュヴィッツのお針子 第二章 唯一無二の権力(P65)ルーシー・アドリントン

つぎは、1942年3月26日から4月29日に移送列車でスロヴァキアから移送列車でアウシュヴィッツに働くために選ばれた囚人女性の証言です。

戦後、生き残った人たちはなぜ抵抗しなかったのかと尋ねられた。この手続きに耐えて生き延びた彼女たちは、起きていることが信じられなかったのです、としか言えなかった。

アウシュヴィッツのお針子 第五章 お決まりの歓迎(P124)ルーシー・アドリントン

強制移送されたお針子のブラーハは、同じく収容された妹のカトカと親友のイレーネを守ろうと心に決め、イレーネは妹のエディートを全力で守り、むごい環境下で互いを思いやりました。

こうした支援の輪は生き延びるために必要不可欠で、(省略)女性囚人の多くがこの人間らしい要素を経験していた。

アウシュヴィッツのお針子 第六章 生き延びたい(P148)ルーシー・アドリントン

権力のもと、強制収容所ではナチス親衛隊による横暴が日常化していました。

親衛隊の盗みが目にあまりだしたので、ついに調査団がアウシュヴィッツにやってきた。法務将校のロベルト・ムルカが親衛隊女子の所持品検査を命じ、カナダからくすねた宝石やランジェリーを発見した。処罰は二年ないし三年の投獄だった。いっぽう、権限なしの殺害や残酷な拷問については調査されなかった。これらはすべて、アウシュヴィッツの日常的な仕事だったのだ。

アウシュヴィッツのお針子  第七章 ここで暮らしてここで死にたい(P192)ルーシー・アドリントン

※囚人からナチス親衛隊が奪った衣類は「カナダ」と呼ばれる集積所で保管されていました。その数100万点以上。

ソ連軍の侵攻により、1945年1月17日お針子たちは「仕事は今日で最後」と告げられます。翌日解放、そこから「死の行進」(トーデスメルシェ)と呼ばれる西への過酷な旅が始まります。

衣服を着替えるのは、解放の重要な要素だ。収容所の縦縞、収容所のぼろきれ、収容所生活のあらゆるしるしを捨て去り、もう一度まっとうな服を身につけると、劇的な変化がもたらされた。番号から女性へ、囚人から人間へ。ぼろきれを脱ぎ去れば、屈辱も脱ぎ去れる。シュタープスゲボイデのプラーハの友人のひとり、エリカ・コウニオは、のちに「わたしたちは服を替えました、また人間になるために」と述べている。

アウシュヴィッツのお針子  第十章 紙の燃える臭いを嗅ぐ(P279)ルーシー・アドリントン

まとめ:歴史に学び過ちを繰り返さない

手をあげる人たち

読みたい本と読まななければいけない本があるとすると、今回の作品は後者です。あまりにもむごい人権侵害があり読むのがつらいときも。かけがえのない人の身に起こったら…と、自分に置き換えて、時間をかけて読みました。

先日「歴史修正主義」について朝日新聞に掲載されていました。この言葉は、かつて欧米で「ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮はでっちあげ」と唱える論者を指す言葉として使われるようになったそうですが、現在ヨーロッパ諸国では、歴史修正主義は法律で罰せられるそうです。

かえりみて日本ではどうだろう、残念ながら自分たちの都合よく歴史修正の発言が増えているように感じます。

私自身が己の権利と他人の人権のどちらも尊重しているか、遠い国のいま人権を侵害されている人たちの問題に関心を寄せているかを自問させられる一冊でした。

めぐみ

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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